昭和41年08月05日 夜の御理解



  (途中から、末尾切れ)
 本当にその事をあのぅ真実そういう風に最近思うのですけれども、現在椛目でおかげを頂いておる方達が、信心の本流とでも申しましょうかね。その信心の本流に従っての信心の進め方、というそこの一線上にお互いが出らなければ、私は合楽移転の値打ちがない。という風に思うです。そこで私はあの、本気で一つ信心の稽古をさせて頂こうと、本気でという事がですね、私は本気とお互いの信心が本気にならないんじゃなかろうか、という風に思うんです。
 ですから、あのそこにはっきり一つ、あのおかげの世界から徳の世界。おかげの世界から徳の世界へ信心が進展して行くと。進んで行くという一つの段階に椛目は来ておるんだと。現在の椛目の方達は。そしてその次に又沢山の人、言わばおかげ信心の人があって又良いのであり、又あらなければならんのである。けども現在椛目で、まぁ5年なり10年なり、又15年なりと信心の稽古をした人達はですね、もうそのおかげの世界からですね、徳の世界。いうなら、願いを持った信心。
 いわゆるあの、いわゆる真の信心とこういう事言われておりますけれども、その真の信心を本気で頂こうというのではなくてですね、もうそれが当たり前の事だという風に思わないけん。本気にならにゃ、本気にならにゃという所にですね、なかなかその本気にならんのじゃないか、とこう思うですね。難しい事のように思う。だから信心とは、結局本心の玉を磨くものぞや、と信心とは日々の改まりが第一ぞと。信心とは本心の玉を磨くのであり、改まるという事なんだと。
 私はですね、この信心というのが、私が皆さんに今日言いたい事はそれであってからですね、そのおかげというものを本当に切り放して。信心の稽古をさせて頂くと言う事にですね、自然に、もう心にきりを付けなけりゃ、本気にそうなろう、というのではなくてですたい。だからもう信心の稽古という事だけに、一つ焦点をおかして貰ったら、本気にならなくてもですね、そこんところの切り替えが出来たらです、信心の例えば、日常生活の中にでもです、その事を通して。
 信心を分かろうとする努力。お参りでも、信心を分からせて頂く楽しみでのお参り、と云う事にです、なって来なければ、何時まで経ってもこの辺が、あのらちがあかない。それでもその、おかげを受けると言う事の、信心ですか、そういう信心から一つ、信心、本当の私は、それを本気でという風に言わずにです、信心とはそういうものだと思い込ませて頂けれる信心。
 そういう信心が私は、そのおかげの世界から徳の世界に飛躍して行く、一つの、まぁいうなら、おかげの学校から徳の学校へこう、その進学して行く様なものだとこう思うですね。どうしてもその、私共がおかげというものと一緒に考える。だからおかげを頂いておればもう、信心を、その信心を分かろうというその意欲が非常にそがれて来る。そりゃこうやって行きゃもうそれで、本当良い様な気がする。今日あの、「高芝」さんが、御祈念に遅れてから参って見えました。
 してここで色々お届けされますのに、まぁあの生命保険をやっておられるんです。所がもう先月はもう、いっちょん儲けちゃなかった。どうぞ今月どうぞよろしゅうとこういう。私はそれで高芝さんに申しました。高芝さんおかげ頂いたですねぇて私は。どうでしょうか、あんたがなら幾つかでも出来とったら、もうあなたはそれから一つも伸びない、信心が。私がまぁそうとう商売にああして自信を持っておった私がです。
 タオル一筋が一日回っても売れないと行ったような事に、こう次々直面しながらです、とにかく自分の腕というものを、に対して自信を無くしてしまった。そして神様のおかげを頂かなければ出来んと。一切自分の無力であるという事を私は痛感した。様に高芝さんどうでしょうか、あなたが、例えば一月間一生懸命になさったんだけれども、誰も都合のいい様に言よるけども、本気でかたろうという人はおらなかった。と言う程に私には信用がないんだと。皆んなの。
 皆んなが総代さん総代さんと言やおるけれども、そりゃ口だけであってから、心からあんたを一人も信用はしていないんだと。又信用されていないんだと。それは親戚だってそうだったんだと。隣近所の、先ずは、言わばこの人はと思っとった付き合い相手だって、やっぱり都合良うを言うて、都合言うて断わっただけであって、まぁ実際誰も入っていないと。もうこりゃもう本当に絶好の機会だから、いよいよ私がこげんも信用されていない私であるという事をです。
 一つ本気で分からにゃいかんですばい。もうそこから、そこから本当の信心が出来て来るのじゃなかろうか、というて、今日はその事を真剣に自分も考えられた様でした。自分がまだ、例えば税務所なら税務所に勤めておる時にとやこう言うておったのは、そりゃ税務所員という、それに対してだけであった。まぁここでも、「高芝さん、高芝さん」と口じゃ誰でも言いよるごたるけれども。
 ありゃ総代さんという肩書きに、言よんのであってです、さぁ実際自分が何かそれぞれに頼まんなんて時には、誰も相手してくれんじゃないですか。こりゃ私はお互いがですね、もう本当に、あの、信用の、誰からも信用の受けられてない程の私であるという、そこからです、もういよいよ力が無い私というそこからです、私はね、もうこれは私が信用を頂けれる人物に私がならなきゃいけん。私がもっと親切に。もっと実意に丁寧に。私がならにゃいけん。
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